Nude mama!milk
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[ CD ] windbell four 109
非塗工グリーティングケース仕様 - [Digital]
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[ DIGITAL ] https://ssm.lnk.to/Nude
2020年1月28日 配信開始
しなやかに、狂おしく
野性味すら感じさせる
揺るぎなく、揺らぎ続ける音楽。
ダイナミックレンジの音の揺れ・呼応はライヴアルバムのようでもあり
ざわめくヴァリエーションはまだ見ぬ映画のサウンドトラックのよう。
ギャラリーLIFTでの公開リハーサル+レコーディングセッションから生まれた音源「ヌード」。
アコーディオン、コントラバス、トロンボーン、ドラムが奏でる、
世界的にも希有な室内楽。
[ 収 録 楽 曲 ]
1. monologue ( * )
2. kujaku viridis
3. Nude
4. nuance of 12℃
5. Nude var.1
6. rosa damascena
7. an ode in march
8. apres fermentation
9. duologue( ** )
10. kujaku albus
11. Nude var.2
12. the moon on the mist
13. sometime sweet +
14. sones
15. Nude var.3
16. flowers
all compsitions written by mama!milk except
( * ) J.S.Bach “6 kleine Praludien No.2”, ( ** ) J.S.Bach “12 kleine Praludien No.5”
photo by Ryo Mitamura at LIFT 2011
[ 演 奏 ]
mama!milk
生駒 祐子 アコーディオン
清水 恒輔 コントラバス
Musicians
市原 大資 トロンボーン
栗原 務 ドラム
Recoded and Masterd by
庄司 広光 at LIFT 2011
Artwork by
南 知子 ( stompdesign )
Printing by
築地活字
courtesy of 「mama!milk の現場 at LIFT」
2011年3月7日~10日「mama!milkの現場 at LIFT」 archive
Topics 2011
photo by Keizo Maeda at Kyudo-Kaikan 2011
[[ Recomented ]]
(mama!milkのふたりは、打ち明けてくれた。)
震災前夜まで録音していた「Nude」の音楽は、
その5日前におこなわれた「The Night in BAROCCO」の演奏から、
1つの緩やかな弧を描いて、つながっているのだという。
写真家・湯沢英治の、さまざまな動物の骨が
彫刻のように映し出される映像「BAROCCO」と、
mama!milkの端正な音楽が、ねっとりとからみあった、あの夜。
闇のなかで仄白い骨の光だけを頼りに立ち上がる、剥きだしの音楽。
情緒のかけらまで削ぎおとし、鋭さを増した感覚は、
なれ親しんだ楽曲の、ありのままの原初的な姿を露にしていく。
(演奏後の、生駒祐子の呟き。)
「色々あったけど、ここでは裸のままの私たちでいいと思った。」
迎える私たちも容赦なく原点に引き戻された。
それまで安全なところに身を置き、ひたすら陶然としていたとすれば、
あれは、だれもきっと逃げも隠れもできない、裸の夜だったのだ。
せりあがる、言いしれない不穏な揺らぎ。
思いのたけを込めた、詩(うた)にならない詩。
涙をふき、胸をはり、また毅然と歩きだす誇らしい足どり。
「Nude」の音楽は、
いま私たちが、何を失い、何を求め、取り戻そうとしているのか、
明確な答えを差し出してはくれないけれど、
凛とした、潔い「一歩」を示してくれた。
これは、ひとひらずつ、剥かれていく音楽の告白。
生きている音楽の打ち明け話。
住吉智恵
TRAUMARIS アートプロデューサー/ライター
2011年3月5日「The Night in BAROCCO at TRAUMARIS」 archive
きっと、「もっと」を欲して
自らの音楽の柵を取り払ったのだろうと思った。
音楽を放しがいに出来るなんて
合図一つで呼び戻せる信頼、
どこへ転がっても追いつく自信と確信があるのだろう。
そんな強靱な自由を得て、音楽はますます
美しく揺らぎ、響いている。
装飾を拒み、雑踏を好み、白昼夢を見せる「Nude」の世界で
酒場の裏口は教会の入り口で、裸の孔雀が街を行く。
そんな夢のような現実の、「Nude」が私に言った。
持ってるだろう?付け足すな、と。
この幻想的なまでに美しい音楽は、それでいて、
とても人間らしいし、現実的なのだ。
体の中に、本質に、生々しく訴えかけてくる。本当の事を。
世の中の大半は、暗黙の了解の道徳めいた物に
操られているように感じて、
個々人の意識の美しさや可能性を無視されてるみたいで
居心地が悪いことも度々で
人間って大勢に紛れ様子を覗い安全策をとる退屈なものなのか?
だから、「Nude」はきっと、
本質を、感覚を、たたき起こして回るに違いないと私は思う。
社交辞令もなく、覗わず、計算も妥協もしない
剥き出しの意志、欲求、美意識。抑制しない、ロマンチスト。
もっと、揺らぐために、揺るぎなくなっていく。
mama!milkは、きっと一番「強く」なるつもりなのだ。
こういうものが人の「野生」のような気がするし、そうあって欲しい。
だって、とても、美しいから。
南 知子 stompdesign デザイナー
[[ wind bell pressreleaseより ]]
薫り高い珠玉の作品集、と国内外で話題をよんだ「Fragrance of Notes」以降、カルテット、クインテットそして、フルート、クラリネット、ホルンを迎えたセクステット編成まで、作品、公演毎に編成・編曲の可能性を探り、自作曲を深化させてきた彼らが2011年に取り組んだのは、ドラムに栗原務(Little Creatures / Double Famous)、トロンボーンに市原大資(Yossy Little Noise Weaver /ex Determinations)を迎えた、4人編成の録音。
東京・早稲田にあるギャラリー「LIFT」にて三月上旬に収録。
レコーディング期間中にオーディエンスを迎えた公演も開催された。
近作「Fragrance of Notes」では全編アナログ・レコーディングに挑み、「Parade」では大胆にも多くの収録曲の編曲をトウヤマタケオに委ねたが、この新作は各地の実に様々な会場における mama!milkの現場、つまりライヴの空気感をそのまま封じ込めた作品。
J.S.バッハの楽曲の二つの変奏、ここ最近の彼らのライヴの重要なレパートリー「Nude」の映画音楽的手法で聴かせる四つのヴァリエーション、長年、彼らのライヴでは必ずといってよいほど演奏される「Gala de Caras」 収録の「sones」、「Parade」収録の「an ode in march」、そしてより鮮烈な印象を残すものとなった「Fragrance of Notes」収録の「kujaku」の二つの変奏などある意味ではベスト盤的側面もそなえた楽曲構成となった、7枚目のアルバム。
コントラバス奏者・清水の存在の大きさ、ドラムの栗原、トロンボーンの市原のほかでは聴けない実に繊細な演奏、そして彼らの隙間を縫うようでいて自由に泳ぐ生駒のアコーディオンがより生々しくとらえられ、今作の響きは彼らの既発楽曲にもあらたな息吹をあたえている。
また、近年、阿部海太郎と共に取り組んだ無声映画「メトロポリス」伴奏付上映会のための作曲・演奏、石橋義正監督映画「ミロクローゼ」(2011年公開予定)のサウンドトラックを手掛けた経験が濃厚に反映されたであろう作風。
世界を見渡してもこのような編成の室内楽は稀であります。