エッセイ「mama!milkと法然院」村松美賀子 ( 文筆家、編集者 )


 

mama!milkと法然院

mama!milkが京都の名刹・法然院で演奏会をはじめて、15年ほどになる。
アコーディオンの生駒祐子とコントラバスの清水恒輔のデュオは、ときにゲストも交えながら、世界じゅうの美しい空間で演奏を行っているが、これほど長く続けている場所もめずらしい。法然院第31代貫主・梶田真章さんをはじめ、さまざまなご縁に恵まれて、年に一度の演奏会は成り立ってきた。

初夏の演奏会を前に、ふたりと善気山に登ることにした。法然院は、東山三十六峰のひとつ、善気山の麓に広がる。寺の正式名称は善気山法然院萬無教寺という。善気山と一体となって寺はある。
演奏会場となる方丈の間は、善気山に面している。広間と山のあいだを、方丈庭園がつなぐ。あの庭の奥を見てみたい。心地よさと、恵みの源を知りたい。生駒さんの言葉に、山登りを思いついたのだった。

登り口は生駒さんが知っていた。昨年秋の境内の清掃に参加されたとき、山門を出てすぐの阿育(アショカ)王塔のあたりを受け持って、そこから善気山に登れると聞いたという。一般的な登山道のようにはなっていないが、道はある。
雲一つない晴れの日で、空気が澄んでいた。青い光が降りそそぐなか、急斜面をつづら折りにすすむ。下草はきれいに刈ってあり、朽ちた枝もまとめられている。木々の一本、一本に目配りされていて、古い大木は養生され、植樹された若木があちこちにある。
大きなツバキ、イチイガシ、アラカシ。モチノキ、エゴノキ。植樹されたカスミサクラ、ウワズミサクラ、ヤマモモ。花を咲かせる木々も多い。
森を健全に保つには、人の手を入れる必要がある。善気山は、貫主の梶田さんと法然院森のセンターをはじめ、地元住民や有志によって、しっかりと保全されてきた。
森は明るく、木の幹にふれると、生命力が伝わってくるようでもある。陽の光を受けて、群生するシダが輝く。




一帯は法然院の私有地で、標識なども控えめだ。ところどころにある落ち椿が道しるべにも見えるが、もちろんそうではない。頂上の方角は検討がついても、どの道を辿っていけばよいか、迷う。うろうろしていたら、イノシシやニホンザルなどに出くわすかもしれない。
同行してくれた照明家の魚森理恵さんが、コンパスや地形図を見ながら、行く道を的確に見定めてくれる。ジグザグと登るうちに、「従是西法然院領」とある石柱をいくつか見かける。

視界がひらけた先は、小さな広場のようであった。周りを囲むようにアカマツの木が生えている。おそらく山頂に着いたのだろう。安堵するより先に、驚いたのは、東側に大文字山が迫っていることだった。想像以上に、あまりに近い。「大」の字の火床を行ったりきたりする人も、山の稜線にもしゃもしゃと生えた木もはっきり見える。
山頂の標識はほほえましかった。木の枝にかけられた手書きの木札に「第14峰 善気山」とあり、その下に巻かれたピンクのテープに「p271」と標高が記されている。西側を向くと、森の茂りで、京都市街はもちろん、法然院の伽藍も見おろせない。木々のすきまから、下の景色がところどころのぞく。一方、善気山は大文字山からよく見えているはずだ。地形図が立体的に立ち上がってくるようでもある。






法然院の方丈の間において、mama!milkは縁側で演奏し、方丈庭園を背にする。その奥には善気山がある。絵としてはそうなるが、それで完結しているわけではない。善気山の向こうには、この大文字山がある。さらに向こうには、大きな琵琶湖。もっと東にいけば大海原だ。
善気山の頂上で、生駒さんは地形図を眺めて、はるか遠くに目を向ける。漠然と思っていたという「広い世界」を、ありありと思い描けたようでもあった。演奏中に生駒さんの首筋をなでる風も、どこかからはるばる旅をして、そこにやってきた空気であり、水なのだ。

昼過ぎに山を下り始めると、黄色い光が温かく森を照らしていた。あたりの景色も鳥の声も、朝とはまるで違っている。来た道を戻りながら、つまずかないように、太平洋の先まで飛んでいった意識を地面に向ける。




善気山を伝って、法然院に湧き出る水は「善気水」と呼ばれる。江戸時代の初期、忍澂和尚が法然院を中興したさいに湧き出るようになったという。以来、三百数十年にわたって、この水が法然院と訪れる人々をうるおしてきた。豊かな水は、善気山を保全してきた人々あっての恵みでもある。寺の来訪者にふるまわれるお茶は、この水で淹れている。やわらかく、澄んだ味がする。

mama!milkの法然院での演奏は独特だ。その音楽に引き込まれるほどに、さまざまなものがみえ、聞こえてくる。吹きわたる風、うつろう光。木の葉のそよぎ、鹿威しの音。犬の吠える声、カエルの輪唱。夕暮れから夜にかけて、この場所の豊かさを、いま生きている世界を身体で知る。
自分たちの音楽は、時間軸の額縁のようなもの。生駒さんはいう。その額縁越しに、わたしたちは大きな巡りの一端をかいまみる。現前するものより、ずっと遠くを、奥深くを。
演奏会が終われば、後には何も残らない。わたしたちはためつすがめつ、記憶のかけらをつなぎなおしながら、ふたたびの時間を待ちこがれる。

 

photo by yuko ikoma
at Honen-in temple, Mt. Zenki-san 2023.3.14 


mama!milk「初夏の演奏会」
2023年5月20日(土) [京都] 法然院・方丈

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▶︎[SCHEDULE] 2023年5月20日[ 京都 ] 法然院「初夏の演奏会」


map by Studio Kentaro Nakamura